【第一部】おしえて! アルファギーク─エンジニアが幸せになる方法

吉岡  自己紹介と人生の転機をお話しいただきたいと思います。まず私から。今年で 51 歳。(会場に)25 歳以下の人?──1/3 くらい? 30 以下は? いや、10 進法で(会場笑い)。エンジニアの方は? ──やっぱりほとんどですね。パネラーの方、こうひう人たちに向かってお話しいただければ。
私は最年長で、IT 産業のパラダイムシフトを実体験として見てきたので、そういうスタンスでお話しできれば。私の最初の会社は DEC でした。大学ではソフトウェアを勉強していたので、ソフトを作りたかった。就職先を探していたときにたまたま米国の DEC を見つけ、そこへ入った。当時ソフトを作りたければハードベンダに入るのが王道だった。MS も小さかったし、日本法人もなかった(ASCII が代理店)。94 年にオラクルに転職した。90 年代は MS もオラクルも大きくなり、ソフトを作りたい学生はハードベンダではなく外資系のソフトベンダに行く人も増えてきた。98 年だったかにネットスケープがソースを公開した頃からオープンソースが流行ってきた。2000 年にミラクリナックスを設立し、それ以降オープンソースの世界に関わってきています。オープンソースのことも今日触れて行ければと思う。
谷口  ライブドアの谷口です。ネット上では「にぽたん」。前回はスーツ姿に学生さんがウケていたので、今日はスーツコスプレで。よしおかさんは言うなれば王道をたどって来た方だが、私は「パソコンってなぁに」っていう業界で働いてきた。今後 IT が流行るんじゃないかと思ってこっちに来た。ちょっと毛色の違う、茨の道をたどってきた人として話します。
  ここでは一人だけコードを書く仕事ではない人かな。ライターをやっていたが、食えないと思った。IT が面白そうだと思ってこっちに来た。ビクターの子会社で働いてきたときに MS の人に「受けたいんですけど」と相談したら「中途で受けたほうがいい」と言われ、26 で MS に入った。
ひが  会社のプロダクトを作るためにコードを書いているのではなく、好きなことをやっていいよと言われてコードを書いている。Google の 20% ルールは有名だが、私は 100% 好きなことをやっていいという恵まれた立場。と言っても入社時からそうだったわけではない。SIer というネガティブに見られるところに入社時からいる。よい面も負の面も知っている。SIer では管理職だが、私は管理は苦手でうだつの上がらない人間だった。数年前にオープンソースを始めて自分の進む道だと思った。
吉岡  全員違う歩み方をしていると思う。会場から事前に質問を受けたのだが、人生に正解はないので、正解を期待してもらっては困る。ひとつひとつの事例を参考に、すてきだと思ったら真似してみてほしい。弾さんを真似しようと思っても真似できっこない。事例を積み上げるという意味でお話しいただければ。
私は基盤系(OS や RDBMS)などをやってきた。入社後初めてのプロジェクトが、日本語 COBOL プリプロセッサの開発だった。その時エンジニアやプログラマのイロハを会社で教えてもらった。COBOL のスペックが電話帳くらいの厚みの本で、それを見てひとつひとつ作って行った。その中でバグ潰しやコードビルドシステム、テストなどのベストプラクティスを最初から叩き込まれた。ハードベンダから転職するきっかけは、DEC が 90 年代になって時代の波に乗り遅れて大赤字を出して、会社が左前になり、たまたまオラクルに友達がいて、飲みに行ったら「ウチに来ない?」と言われて転職した。たまたま行ったところ、米国本社で RDBMS エンジンを書く仕事を募集していてそこへ行った。ネットスケープが「ソースを公開する」というクレイジーな革命をやった。その後、もう一波来て、LinuxApacheMySQL など、基盤コンポーネントは全部と言っていいほどオープンソースになった。その意味で言うと、基盤のソフトを開発したければ、今では家で、自分の意思さえあればできる。コードを読み、パッチを作り、メーリングリストに投げ……とできる。シリコンバレーに出稼ぎに行かなければできなかったことが、今は自分の意思さえあればできる。これはすごいこと。履歴書に「Perl のモジュールを作った」と自分の意志で書ける。Rubyメーリングリストなんて日々日本語でやりとりされているので、英語が読めなくても自分の意思さえあれば自分のパソコンでパッチを作ることができる。そういう観点から、自分のキャリアを自分で設計できる。
その辺の話、人生の転機について、それぞれお話しいただければ。
ひが  よしおかさんに聞きたいのだが、王道を歩まれたよしおかさんのようなエンジニアから見て、当時と今のエンジニアライフはどちらが幸せに見えるか。
吉岡  比較はできない。私が今 25 くらいで観客席にいたら、間違いなくオープンソースを選ぶ。
ひが  チャンスという意味では。
吉岡  オープンソースのほうがチャンスがある。例えば VAX というミニコンがあって、設計者は社内にいる。憧れの技術者像はみんな社内にある。垂直統合型のビジネスモデルから水平統合型に変わって、オープンソースの世界になると世界中にいるようになった。その世界中の人たちにアクセスできる。DEC のエンジニアにアクセスするには DEC に行くしかなかった。いい時代になったと思う。
ひが  ライブドアにもスターがいるが、実際に働いていてどんな感じ?
谷口  よしおかさんが現役バリバリの時代のように社内に全員すごい人が揃っているという時代ではない。ライブドアは自社でデータセンターを抱えていたし、かつての弾さんのように優秀な人材が集まってくる環境があるので、社内に目指すべき人がたくさんいたし、今でもいる。今そういう環境に自分たちがいるが、最初は社外の人ですごい人は誰かと考えたときに、当時は Google がなかったのでロボット型のサーチエンジンを使って調べていくうちに Shibuya.pm というハッカーの集まりが……2001 年くらいに参加して、代々木で 30 人くらいで集まったのだが、オン・ザ・エッヂのエンジニアが盛んに活動をしていた。小さい会社で地道に働いていた自分はそういう世界を知らなかった。オン・ザ・エッヂの人はすごい、こういう人と働きたいと思ったのが入社のきっかけ。でも実力が伴わない。例えば宮川(達彦)さんと話していて、「この人すごいな」と思う。自分がステップアップして行くためのロールモデルが宮川さんだった。CPAN のモジュールを宮川さんはたくさん登録しているので、自分も CPAN のモジュールを作った。
吉岡  (宮川さんが) Six Apart に転職するときに CPAN モジュールのリストを見せたら次の日に声を掛けられたという伝説(suno88 注: 「ITpro Challenge! 2008 (+ 非公式懇親会) 雑感」参照)があるが。
谷口  宮川さんみたいになりたいと思った。こんな茨の道をたどってきた人間でも偉くはなれる。そういう意味でライブドアは恵まれている。今は自社に目指すべき人がいないというのがほとんどだと思う。私が Shibuya.pm に参加したときは勉強会がほとんどなかったが、今では勉強会の勉強会があるほど機会がある。若い人にはチャンスがたくさんある。
  僕はもともとオープンソース自体をやっていたのは 98 年くらい。IPv6 を使えるように RedHat を上書きするパッチを書いていた。当時 IPv6 を流行らせようとは思っていたが、どうしても IPv6 でないと、というのがなかった。IP モビリティとアドホックネットワークがバラバラだったので、ちゃんとした仕組みを作れないかと思ってプロジェクトを立ち上げた。でも調べるとコードで解決する問題ではなく、無線 LAN の周波数が足りないということが分かった。転職した理由は、2005 年くらいは MS もオープンソースコミュニティとの関りを変えて行く時期だったので、そこが興味深くて飛び込んで行った。ここ 5 年はどうやってオープンな世界でキャッチアップしてゆくかという点で面白かった。
吉岡  デジュール標準はネクタイを締めた人が会議室で作る。オープンソースの標準は、メーリングリストなどでコンセンサスを作って RFC になる。いい RFC は複数の実装ができる。標準を作るのもさっきのハードベンダの話に似ていて、世界中で使われている標準は RFC で規定していたり、メールの RFC は 90 年代に村井(純)さんが作ったのがいまだに使われている。使わなければならないという強制力はないが、みんな使っている。組織のあり方も相対的に変わってきているのかな、と。でも電波の割り当てなどは国が握っているので、組織の力も必要。──こんな話でいいんですかね。会場がシーンとしているけど。
こういう話が人生の役に立つかというと立たないんだけど、組織と個人、組織と社会の関わりを考えてほしい。
(会場に向かって)ブログを持っている人? ──ほとんど持ってますね。25 年前では考えられない。じゃあ、勉強会に行ったことのある人? ──いっぱいいますね。じゃあ、ブログと勉強会で 2 つの武器を手に入れてるね。
じゃあ、「ひがやすを飲み会」に参加したことある人? ──さすがにこれは少ないね。ブログの話を、ひがさん?
ひが  私はブログを書くのはキライです。(会場に向かって)私が好きでブログを書いていると思う人? ──結構いますね。でも本や文章を書くのが昔から苦手で、本を書いたあとは「二度と書くもんか」と思う。書いているときはつらいけれど、書いた後に「面白かった」「ためになった」と言われると、また書こうと思う。
吉岡  オープンソースもいやいややってる?
ひが  コードを書くのも好きじゃない。人のためにやっている。Seasar を 2003 年からやっているが、作りたくて作ったのではなく、(スターロジックの)羽生さんに「軽いアプリケーションサーバを作ってよ」と言われて書いた。
谷口  僕は月に一本書くか書かないか。ブックマークされるネタしか書かない主義(会場笑い)。
  去年くらいまでブログと仕事を分けていたのだが、最近名前を明かした。よいことは、情報を発信すると、間違いを直してくれる人がいる。間違えた認識のままでいるほうが恐い。去年で言うとインターネット規制のような話になったときに、早くブログに書けば、自分が書いた点が取り上げられていつの間にか直っているということもある。
吉岡  法律も、我々は書けるといえば書ける。書き方も通し方も知らないけど。そういう考え方があるというのはすごい。条文ひとつひとつに魂があり、誰かが作っている。私と同じ、人が作っている。楠さんのブログでそういう発見があって、そういうブログの使い方があるのか、と。ある意味でハック。コードは書いていないけれどハッキングしている。
  ソフト開発の現場で起こっていることも社会で起こっていることも似ている。どうやってズレを擦り合わせながら解いて行くのか、ソフト開発で直面した矛盾、乗り越え方は、社会や政治の世界でも生かされる。ソフトの世界のバグデータベースのようなものがない世界。C のコーディングスタイルのような本のように、法律の書き方の本というものもあり、本屋や役所の地下で買える。
吉岡  法律は究極のオープンソースですよね。コピーしてもいいし、ブログに上げてもいい。実装も社会で実装しているし、直したければ直せる。
  ひとつ違うのは、Linux カーネルであれば Git で履歴をたどったり、メーリングリストのログを見たりして「どうやって決まったのか」は分かるが、法律は国会の議事録を読んでも分からない。まだオープン化されていない部分もたくさんある。アメリカではオバマ大統領がいろいろオープンにしようといろいろ仕組みを作っているので、IT の世界で 10 年かけてやってきたことが法律の世界で起こるかも。
吉岡  議員もブログを持っていて「○○委員会に出た」とか情報発信をしている。プロセスを公開しているという面では素敵な話。──なんでこんな話になったんですかね。
いちおう一巡して……。
ひが  私はあまりしゃべっていない気が(会場笑い)。伝えたいメッセージがあって……最初 SIer に行ったときには評価されなかった。上に上がる局面があって、98 年くらいに 7 割が上がれるという時に私は上がれなかった。下 3 割だった。自分の評価は気にしなかったのだが、実際に上司の評価が分かる局面では下 30% の評価しかなかったと愕然とした。それからは、自分に合っていることをしないと認められないと思った。このままでは評価されないと思い、Seasar を作ってみて、それがうまくいった。その後、作ったものをオープンソースとして公開したのが Seasar 1。外の人とやったり、自分の作ったものを人に使ってもらうのが合っていた。それで 100% ルールという恵まれた立場になったが、これはスキルとのマッチングだと思う。仕事では得意な所を生かして行かないといけない。自分に何が向いているか分からない人は、いろんなチャンスがあるんだと思ってトライすると、自分にあったことができるんじゃないかと思う。
吉岡  自分の人生の転機は?
谷口  転機は意識したことがない。ドラスティックに自分の人生が変わったことは意識してないが、ライブドア入社や Shibuya.pm など。SI でも何でもない他業界の社内システムをやっていたが、すごくゆるゆるの会社だった。ぬるま湯だった。居心地はよかった。給料も悪くないし。でも自分に合っているのってこれじゃないと思った。アルファギークのブログを読んでもサッパリだった。今でも memcached の記事にはブクマがつくが、そういうことをやりたい、そういう環境に身を置きたいと思っている人が多いのだろう。転職先で提示された月給が現職から 11 万減だったが、やりたかったので転職した。そしたら毎日終電間際や途中の駅までしか帰れない、でもタクシーには乗れないので歩いて帰るとか。でも楽しくてしょうがなかった。風呂に入れず臭かったし、カッコイイとは思わなかったが、楽しいからやれた。
吉岡  情報発信している人に吸い寄せられるということはあるね。
谷口  知らない人のところへ行きたいとは思わない。
吉岡  情報発信はいいことだね。学生の就職活動だけではないいろいろな方法があるのはいい。ネットでブラックな所は分かる。インターネットのおかげでいい面も悪い面も分かる。情報が非対称的になってきた。
会場から質問を──。
谷口  質問しないと、よしおかさんに「質問力がない」って言われますよ。
質問者 1  エンジニアとしては会社に依存するより個人の価値観や技術を磨いてゆくという話がメインとなっているが、会社に所属して働いている人のほうが多いと思う。正解がないのは承知の上で、これから業界がどうなっていくか聞きたい。(1)私はトム・デマルコの信者で、『ピープルウェア』が 20 年前の古典になったが、現状はまだ追いついていない。労働環境はどうなっていくのか。(2)偽装請負サービス残業などのコンプライアンスの問題は。特に中小企業は。(3)SIer の上流と下流の格差はどうなる。(4)鬱を始めとするメンタルヘルスの問題、IT になぜ多いのか。これからはどうなるのか。
吉岡  具体的で難しい質問。
ひが  SIer の話。上流・下流どちらかだけの人はダメだと思う。どっちも重要で、偉い偉くないというのはないが、上流だけの人は実装がイメージできないので、作っているときにあやふやなことがあっても「いいや、実装で考えれば」と先延ばしにする。実装を知らない人の設計書はダメ。逆もまた然り。どういう意図でこういう設計なのかを分からずに作ると、お客さまの欲しかったものとは違うものができる。両方やるのがいいと思う。上流と下流と分かれているのが効率が悪い。部分的なところしか見ない。だいたいが結合テストで動かず、大量に人を投入して動くようにするが、それは分業しているから。上流から下流まで全部ひとつの会社でできるほうがコストも低く、いいものが作れる。下請けに丸投げという SIer は今後苦しくなるだろう。
吉岡  受託開発は SI 的だと思うけれど、製品・サービスは上流も下流もない。実装する人がスペックを書き、スペックを書く人がテストする。
  5 年くらい前だと 7・8 次請けなんてのもあったが、最近は減っている。コンプライアンス遵守で契約を変えている。また最近は(悪い)内部情報が出ていっていい人を取りづらくなるので、改善されていると思う。
吉岡  ブラックな情報もホワイトな情報も流れることで、淘汰が始まると思う。
谷口  メンタルヘルスが問題だと思う。4 つの質問は何かしら関連がある。自分も一時期ヤバいんじゃないかと思って、utsu.jp で自己診断したら「どう見ても鬱です。本当に(ry」ということもあった。受託で二次請けになると、要件に合わせるために生活や人間を犠牲にしないといけない。そういう部署で働くのがイヤで「辞めます」と言ったら異動できた。この業界はサービス残業している人が多いと思うが、自分で動き出せない、空気を読んじゃうのは国民性か。その国民性をいいように利用している会社がほとんどではないか。近い将来、変わって行かないといけない。自分も部下を持っていると、落ち込んで悩んで自分でコントロールできない。マネジメント層が精神を病んでいる人の扱いを知らない。業界が変わるか、マネジメント層がうまくできるようになるか、自分が逃れるか、どれかしかない。メンタルヘルスカンファレンスみたいなものをやりたい。
吉岡  マネジメントの人は今日はあまりいないようだが、プログラムとマネジメントは違う技術がある。経営もまさにそう。人間をどうやって管理するかという点が形式知として流通していないのが問題。『ピープルウェア』などを 20 年くらい前に読んで、ソフト産業はまさにピープルウェアだと思った。北風と太陽では太陽が人を動かすと思う。『Debug Hacks』という本のプロジェクトが面白かった。ミラクリナックスのエンジニア 5 人で書いたのだが、週に一回原稿を持ち寄って議論した。去年 6 月に出版社が決まって、7 月に契約が決まって、とスケジュール管理があり、少しずつ原稿を溜めていく。ソースは Git で管理。そういうところで何をモチベーションにするかと言うと、人のやる気をキープして行く。波の中でコントロールして行く必要があるのかなと思った。
繰り返しになるが、会社として意識して人をこき使うというのはあまりないと思う。結果として、上司がうまくないとか、部署がうまくいってないというのはあるが、うまくいかないことを設計してそうなることはないはず。
  確率論的に見積もりは間違うものだと思う。発注者と受注者で不確定性を共有できないといけない。人の生活を大事にして行けるような仕事のやり方や商慣行が広まって行ければいいと思う。
吉岡  プロジェクト開始時に全部明文化できるかというと、そうではない。
  プロジェクトを variable とするか、人の生活を variable とするか。現状は後者だ。
吉岡  サービスは自分の意志でコントロールできる範囲が広いが、SI はお客さんの部分は変えられないのがアレかなぁ。
そろそろ、エンジニアの未来、IT の未来という話を。さっきの質問にもあったが、今後どういう業界になっていくか。
ひが  未来は分からないが、近い未来はある程度の想定はできる。クラウドGoogleAmazon が頑張ってきて、バズワードからビジネスの世界に近づいてきた。すると、SIer みたいなところが非効率なやり方で何かを作るのが向かなくなる。サクッと作って客がついてきたらスケールする。クラウドの世界が広がるにつれ、受託開発が減ってゆく。
  クラウドバズワードではなくなってきていると思う。
吉岡  霞ヶ関あたりではバズワードクラウドグリーン IT で何十億円、みたいな。
  私も研究会にいるので話しづらいが(会場笑い)、自治体では古いコンピュータがたくさん残っている。自治体が変わると情報交換できないとか。そこへクラウドが入って行くと、独自規格がオープンになっていく。悪い話ではない。
吉岡  ハードにいくら予算を使うとか、悪い話になっていきがち。政治レイヤを見て行かないといけない。
  国が作ったからみんなが使わなければいけないという話ではない。どうやってプライバシーを確保するか、犯罪が起こったときに踏み込めるのか、という話を考えて行かないといけない。
クラウドの議論では「SI はなくなるのか」という話が出るが、SI も受託もなくならないと思う。人と会社、組織とシステムの仲立ちをする仕事はなくならない。受託は、プログラマキャリアパスの問題を解決してゆかない限り、そう簡単にはなくならないだろう。
吉岡  ほとんどの業務がパッケージでできて、ある種のカスタマイズは残るが、経営のベストプラクティスが確立してゆけば受託は減っていくと思うが。
  自社でも ERP の SAP を使っているが、日米でパッケージの受け入れられ方が違う。基幹システムと業務を連携させるには周辺ツールがたくさんいる。パッケージがカバーしている部分と実際の業務のグルーはたくさんあり、それらを作ることで業務の効率化はできる。そういう受託開発は残る。でも昔のように一から手組みするのは減ると思う。
吉岡  大きな会社は IT 部門があるのでそうだと思うが、小さな会社ではそうではないし、高いお金を出して自社開発するのも難しいし、パッケージを買って経理を回したりするのかなぁと思う。
谷口  そんなに急激に業界が変わるとは思わないが、心を病んでまで働く業界なのかなぁと。ある程度淘汰されてゆく気はする。ブラックと呼ばれているところでは何がモチベーションなのか、未来はあるのか。ないと思う。会社に未来がなくても、エンジニアには未来がある。働きにくい環境が淘汰され、統廃合が起こるのでは。最初に Shibuya.pm に出たときは 1 ヶ月でようやく 30 人の枠が埋まったが、今では 200 人が 1 日で埋まる。エンジニアは増えてきている。IT 業界サバイバルが始まっている気がする。名前も知らなかった会社がポッと出てすごくなることもある。面白そうなサービスを出せば、1 日で数千万ページビューも。そういうノウハウがなかった頃、手探りのノウハウを公開したから現状がある。イニシャルの加速性がいいので、今後ポンと会社が出たり、今まで持っていた会社が消えて行くことがある。
吉岡  私は基盤の下のほうが好き。ライブドアもそうだが、基盤をやる会社が東京にはある。カーネル読書会も最初は 30 人くらい、今では 50 人くらいが 1 日で来る。カーネルなんて読んで面白いか、と思うのだが、やってみると、仕事でないのに楽しみで来る人がいる。
ミクシィのバタラさんの話を聞いて「ありえねぇだろう」と思った。RDBMS の使い方としては言語道断だ、と思う。ミクシィも気がつけば 10 万ユーザ、SQL ではいつまで経っても終わらない、なので MySQL のテーブルを分割してみたりと苦労していると、全然関係ない人が memcached を教えてくれる。気がつけば全部 OSS で回している。それを回しているのは基盤系の技術で、その会社の強みになっている。OSSハッカーは社外にいる。MySQL の神、Perl の神は外にいる。でもそれを自社サービスの根幹に据えているというのは、20 年前の垂直統合とは違う。外側にロールモデルがある。MySQLPostgreSQL の神の姿を見ながらコードを書く。技術は会社のものではなくコミュニティのものだと思えればブルーオーシャンだ。「ウチの OS」「ウチの RDBMS」は、会社がなくなったら全部消える。オープンソースなら、会社で培った技術はポータブル。クラウドというバズワードだったとしても、ほかで使える技術基盤だと思う。例えば RDBMS は 30 年前に IBM で研究されて数兆円産業になったが、そこで使われている技術はそんなに変わっていない。トランザクションという概念のベースも、OS やコンパイラの作りも変わっていない。ある程度必死にやっていれば、その分野の第一人者にはなれる。
ひが  今はチャンスが起きている。RDBMS は 30 年くらい同じ技術が使われていて成熟しているが、クラウドの Key-Value の考えは上の人たちにノウハウはない。皆一直線上に並んでいる。非常にチャンス。上の人がつかえていて第一人者を超えられないことは多いが、今の Key-Value ストア系の技術は誰もノウハウがないので、自分がノウハウを溜めれば自分がトップになれるかもしれない。若い人であればあるほど捨てるものがないのだから、新しいもので勝負するのも面白いと思う。
谷口  元ミクシィのバタラさんがカーネル読書会で発表していたときに私もいた。Gree の藤本さんもいた。「ああ、みんなやってることは同じなんだな」と思った。技術評論社の「Web+DB Press」で memcached の動くコードが誌面に載ったが、今ではすでに陳腐化している。ちょっと前まで最先端だった人がすぐに追い抜かれる。自分は後追いだというネガティブな気持ちは持たないでほしい。第一人者になるのが比較的容易になってきた。
吉岡  個別のサービスを作っている会社が東京にたくさんある。そういう人たちと飲みに行くが、みな真面目。酒を飲みながら議論が始まったり。
質問者 2  今日の話は現実に即しているが、この会場の中から 10 年後、20 年後にこんな技術者が出てきてほしい、そのためには何をすればいいのかという話を。
谷口  世界に名だたる「スーパーハッカーカッコワライ」みたいな人を望む。技術的に抜かれる人の恐怖は昔はあったが、今は利用する側として面白いと思う。東京は技術力が集約した街。どんどんいろんなことに挑戦して行ってほしい。
  幸せなエンジニアが増えて、ロールモデルになっていくと、周囲に幸せを分けてゆける。うらやましがられるエンジニアになってほしい。これから人口も減るし、景気も悪いが、大きな変化は見通しの悪い時代に出てくる。方向を見失っている部分もある時代なので、切り開いて行ってほしい。
ひが  「もう日本は立ち直れない、だからシリコンバレーに行くべきだ」ということを海外から言う人をギャフンと言わせるようなエンジニアになってほしい(会場笑い)。
吉岡  あれ、ちょっとイラッときたよね。
ひが  日本も世界に発信できるんだよという人になってほしい。
吉岡  あの人の周りにはダメな人が多いんだよ。日本に帰ってきたときには(彼女の周囲の人が)景気の悪いことを言うんだよ。すごい人はいっぱいいるんだけど、そういう人にリーチできてない。しょうがないんだけど、半径 5m 以内に景気のいい人がいない。東京はすごい。そういう人たちと日本語で会話できれば嬉しい。輸入するんじゃなくて、自分たちで作るんだ、みたいな社会になれば嬉しいなと思っていたが、そうなっちゃった。今の東京はそういう場所。
  おっしゃるとおりで、東京にいるメリットは大きい。シリコンバレーベンチャーしかない街。東京は文化も政治もある。かつて Blaster ウィルスが流行って、100 万台被害が出た。パッチ CD を作るという決断を MS 日本法人は数日でできた。Redmont ではワシントンもニューヨークも遠いので、決断が遅い。東京の俊敏さは武器になるし、それを価値にして打って出ることを考えてよい。
どっしり腰を据えて考えるのは、ノイズが多い東京より地方のほうがいい。シリコンバレーはインドや中国とやりあっているが、日本は日本に閉じこもっているので出遅れてしまうのではと思う。
吉岡  実は地方も始まっている。札幌や福岡、島根も元気だけど、中核都市に勉強会ができてきている。人口規模は東京の 1/10 くらいだけど、彼らもアツいことをやっている。人数が少ない分、横串の通し方が小都市だと東京と違う。そういう中心となっている人は足腰が軽いので東京に出てきたり、勉強会ネットワークができている。
質問者 3  日本電子専門学校の学生で、来年は SIer に就職することになっている。ここ 2 年ほど、IPA フォーラムを感じて、学生とパネラーの間のすれ違いがある。今自分が学んでいるのは何のためと聞いて、パネラーが「資格手当をもらえるよ」とか言って(会場笑い)。この二極化された状況はなぜか、今後変わって行くのか。それと、情報系の学校の存在意義や、学生は何をすべきなのか。
吉岡  日本の大手でエラくなっちゃう人は、失敗をしない人。会社の構造があるんじゃないかな。こういう所に来ている感度の高い人は、そういう言葉にダマされないよね。生の情報をいっぱい仕入れて、SI も変わるんだって分かれば、じゃあ準備できるじゃない。一方で、社会制度として資格が必要であるのは事実。今後、大企業で SI で、というのもある。Suicaベンチャーが作れるかというと、それはできない。基盤システムは残るし必要。送電システムはベンチャーには作れない。そういう社会基盤を作る会社も必要だし、ベンチャーがステキな Web システムを作るのも必要。
谷口  IPA フォーラムの雰囲気は知らないが、資格はあまり気にしなくてもいいのでは。面接者の中には資格マニアみたいな人もいるが、参考程度にしかしない。専門学校や高専を出た人で、社会に出た途端に伸びる人もいるので、私は評価している。
  資格はなくてもいいんじゃないとも思うが、大学で教えている立場として、何を目指せばいい、どう頑張ればいいというのを教えるのが大切。何を目指すかを考える材料が少な過ぎる。業界は広いので、資格で足切りしていかないと技術のミスマッチが起こる。そういう世界があるのは知っておいたほうがいい。自分が行こうとしている世界に興味を持って、生の情報に触れ、自分が何を信じて行くかを考えていくといい。
ひが  IPA のフォーラムは、老害はどういうものかを知る場所(会場笑い)。
吉岡  今日のまとめをブログに書いてほしい。よしおかさんばかりしゃべってたー、とか。感想を書いて行けば、それがゆるい輪っかになっていける。自分ができることをやって行けば未来は明るい。ブログに感想をいっぱい書いてくれれば私は絶対に読みます。
谷口  前回全然しゃべれなかったのもあるし(会場笑い)、マッチョっぽい話題についていけなかったのを「残糞感」と表現したが、今日はちゃんと出し切れた。私もまだ学ぶ立場だと思うので、感想をよろしくお願いします。
  この 2 時間の議論はきっかけにすぎない。IT は数年で技術が移り変わってゆくし、会社はひとりの人生を面倒見るようにはなっていない。5 年もすれば景気も変わる。ひとつは生のものを見ること、何がconfortable なのか自分を知ることで、自分を模索していってほしい。
ひが  モデレータになるとみんなマイクを離さないんだなぁと(会場笑い)。自分が伝えたかったことが伝わったか、ブログに書いてほしい。
吉岡  結論はないんですが、楽しんでいただけたでしょうか。何かのヒントになれば。今日はこんなに集まっていただき、ありがとうございました。