日本語と段落

よしおかさん(id:hyoshiok)が、木下是雄の名著『理科系の作文技術』をブログで推薦されている。このエントリーに、興味深い一節があった。


本書は仕事で書く作文の技術が、明確にわかりやすく述べられている。わたしは、学生時代読んで、初めてパラグラフ機能を知った。それまでは、なんとなく文章が長くなったから、ここらへんで段落を入れておくかくらいの意識しかなかったが、本書で、その機能を明確に教えてもらった。


小中学校の国語の授業で作文や読書感想文をさんざん書かされても、多くの人は段落の概念について指導された覚えがないのではないか。よしおかさんと同様、「なんとなく文章が長くなったから、ここらへんで段落を入れておくか」程度の認識で適当に段落を切る。「原稿用紙 1 枚(400 文字)に段落は 3 つか 4 つが適量」と教わったので、行数で「えいやっ」と行を改める。

外山滋比古『日本語の個性』に、「段落の感覚」という文章がある。少し長めの引用をしたい。




 読みやすさ

 われわれは文章を書くときに段落(パラグラフ)のことをあまり気にしない。すこし長くなったから、このあたりで改行しようか、というので、新しいパラグラフを始めたりする。段落の感覚というものはなきにひとしい。もっとも、こんなところで改行して何たることか、と腹を立てる読者もないから、天下は泰平である。

 これは有名な財界人の話だが、戦後、追放になって仕事から離れた。浪々?自適していると、原稿を書いてみないかという誘いを受けた。原稿用紙何枚という註文である。この実業家はそれだけの枚数をびっしり、一字も空けずに書き詰めた。お側の人が、適当なところで改行しなくては、と注意したら、書かない分にまで原稿料を貰ってはいけないから、註文枚数だけは全部埋めた、と答えたそうだ。この実業家にはもちろんパラグラフの観念はない。まさかそれまで本を読まなかったわけでもあるまいが、段落に注意したことがなかったのかもしれない。小さいときには作文の教育も受けたであろうに、行を改めることは教わらなかったものと見える。

 多くの日本人は、しかし、この実業家を笑うことができない。パラグラフとはいかなるものかと言われて、明快に、わたしはこういうパラグラフを基本として書いているなどと答えられる人はないからだ。どうしたらしっかりした構造の段落をつくることができるのか、だれからも教わったことがない。


外山は欧米の言語をしっかり積み上げることができる煉瓦に例え、対して「日本語は豆腐のようなものだ」と述べる。「豆腐は三つか四つ重ねたら崩れてしまう。ひとつひとつを独立させるよりしかたがない」とし、日本語という言語は長い段落に向いていないと考察している。

ブログや「ホームページ」で公開されている文章を段落の観点から眺めると、残念ながらお粗末なものが少なくない。これは「日本語は豆腐のようなもの」という外山の説もさることながら、一時期よく説かれていたメールやウェブの文書作法によるものではないかと私は考えている。曰く、「メールの文章は、数行ごとに空行を入れて読みやすくしましょう。ひとつの段落を長くすると読みにくくなります。長くても、5〜6 行に 1 行の割合で空行を入れましょう」というものだ。原稿用紙に書く文章とメールの文章は違う作法があると信じて疑わなかったパソコン初心者たちが、無批判にこの教えを守った。結果として、内容からしてひとつの段落にまとめるべき塊が、無造作に複数の段落に分割されてしまう。

「メルマガコンサルタント」なる肩書きで、売れるメルマガの書き方を指南していた人がいる。興味本位で彼のメルマガを覗いてみたら、「2〜3 行書いたら 1 行空けましょう」だの「読者に質問を投げかけて考えさせたいときは、質問の後に 5 行、10 行の空行を置きましょう」だのと小賢しいテクニック(それが効果的かどうかは甚だ疑問だが)を滔々と説いていた。こんな間違った「作法」をコンサルタントの名の下で書かないでほしいと思った。

そうは言ってみたものの、パソコンで読ませる文章は段落を短めにしたほうが読みやすいとは思う。書籍と違って、パソコンの画面に表示される文章は行間が狭く、段落が長くなると黒々して目が疲れるからだ。ウェブの場合は行間を広げることができるが、Outlook ExpressWindows Mail (Vista に標準でついているメーラー)では行間を変更できない。表示媒体によって文章の書き方を変えるなんて本質的でなく、馬鹿馬鹿しいとは思うけれど。

ともあれ、ちゃんとした読ませる文章を書きたいと願う人は、一段落が長くなっても臆してはならない。物理的な長さ、文字数は問題ではないのだ。

【6/2 追記】

ブックマーク経由で id:jdash さんよりコメントをいただきました。


じゃー短くても改行入れてもいいんじゃ。あと本質って乗せる(ママ)媒体・対象で書き方を変えるなんて文章書きとしては当然の行為だろう。何書いているのこの人?『ともあれ、ちゃんとした読ませる文章を書きたいと願う人は

「短い段落を作ってはいけない」とは言っていません。ひとつの段落として独立させる必然性があれば、1 行の段落があってももちろんかまいません。さすがに 1 文から成る段落が 3 つ 4 つと連続していたら不自然だとは思いますが。

それから、表示媒体によって書き方を変える件について。例えば新聞社の配信する新聞記事は、新聞紙に印刷されるときは 1 行十数文字の縦書き、ウェブに掲載されるときは 1 行数十文字の横書き、それを携帯電話で見たときは 1 行十数文字の横書きと見た目が全く異なりますが、文章としては同じものです。メルマガやブログ用に書いた文章は、将来丸ごと書籍化されたり、書籍や手紙に引用されたりすることもあります。

ある媒体に向けて書いた文章がその媒体から絶対に出ないと言い切れない以上、「これはブログだからこう書く」「これはメルマガだからこうやって書く」などと考えながら書くのは、私にとって「本質的でなく、馬鹿馬鹿しい」ことのように思えます。