『日本語の作文技術』──論理的で明快で上質な日本語を綴るために

日本語の文章を上手に書くための本は数あれど、その中から一冊だけ選べと言われたら、私なら本多勝一の『日本語の作文技術』(朝日文庫)を推すだろう。「本多勝一はちょっと……」と敬遠する人もいるだろうが、この本には政治的な話題はルポルタージュの例文として少々顔を出す程度なので、その点はどうぞご安心を。

詳細な目次がウェブには見つからなかったので、少し長くなるが下に掲載する。





第一章 なぜ作文の「技術」か

第二章 修飾する側とされる側

第三章 修飾の順序

第四章 句読点のうちかた

  1. マル(句点)そのほかの記号
  2. テン(読点)の統辞論

第五章 漢字とカナの心理

第六章 助詞の使い方

  1. 象は鼻が長い ──題目を表す係助詞「ハ」
  2. カエルは腹にはヘソがない ──対照(限定)の係助詞「ハ」
  3. 来週までに掃除せよ ──マデとマデニ
  4. 少し脱線するが…… ──接続助詞の「ガ」
  5. サルとイヌとネコがけんかした ──並列の助詞

第七章 段落

第八章 無神経な文章

  1. 紋切型
  2. 繰り返し
  3. 自分が笑ってはいけない
  4. 体言止めの下品さ
  5. ルポルタージュの過去形
  6. サボリ敬語

第九章 リズムと文体

  1. 文章のリズム
  2. 文豪たちの場合

第一〇章 作文「技術」の次に

  1. 書き出しをどうするか
  2. 具体的なことを
  3. 原稿の長さと密度
  4. 取材の態度と確認

〈付録〉メモから原稿まで

あとがき

参考にした本

前半では、句読点の打ち方や修飾語の順序など、論理的な文章を書くための基礎的な知識を網羅している。「お前の文章は分かりにくい」と言われて困っている人は、第四章までをじっくり読み、「なぜこの書き方では分かりにくいのか」を身につけるとよいだろう。

第三章「修飾の順序」の解説をご紹介したい。第三章では、

  1. 句を先にし、詞をあとにする
  2. 長い修飾語は前に、短い修飾語は後に
  3. 大状況から小状況へ、重大なものから重大でないものへ

の 3 点について、実際に語順を入れ替えて、どれが分かりやすくてどれが分かりにくいかを説明する。例えば、

  1. A が B を C に紹介した。
  2. A が C に B を紹介した。
  3. B を A が C に紹介した。
  4. B を C に A が紹介した。
  5. C に A が B を紹介した。
  6. C に B を A が紹介した。

の組み合わせでは、「順序によって『わかりやすさ』に差ができることもなければ、論理が変わってくることもない」とした後で、「B」を「私がふるえるほど大嫌いな B」へ、「C」を「私の親友の C」へと書き換えた場合について考察する。

  1. A が私がふるえるほど大嫌いな B を私の親友の C に紹介した。
  2. A が私の親友の C に私がふるえるほど大嫌いな B を紹介した。
  3. 私がふるえるほど大嫌いな B を A が私の親友の C に紹介した。
  4. 私がふるえるほど大嫌いな B を私の親友の C に A が紹介した。
  5. 私の親友の C に A が私がふるえるほど大嫌いな B を紹介した。
  6. 私の親友の C に私がふるえるほど大嫌いな B を A が紹介した。

これらの 6 つのうち、どれが最も分かりやすいか、どれが不自然か、その理由は何かを、数ページを割いてくどいほど丁寧に、図解を交えながら説明している。

さて、個人的には、この本の一番の読みどころは第八章「無神経な文章」だと思う。日本語の文法や漢字、仮名遣いなどに間違いはなく、語順や助詞の選び方にも問題がないにもかかわらず、読んでいてスッキリしない文章というものが存在する。この章では、そんな悪文を歯に衣着せぬ物言いで斬ってゆく。


1 紋切型

最近の新聞の投書欄で次のような文章を読んだ。全文引用する。


只野小葉さん。当年五五歳になる家の前のおばさんである。このおばさん、ただのおばさんではない。ひとたびキャラバンシューズをはき、リュックを背負い、頭に登山帽をのせると、どうしてどうしてそんじょそこらの若者は足もとにも及ばない。このいでたちで日光周辺の山はことごとく踏破、尾瀬、白根、奥日光まで征服したというから驚く。

そして、この只野さんには同好の士が三、四人いるが、いずれも五〇歳をはるかに過ぎた古き若者ばかりなのである。マイカーが普及し、とみに足の弱くなった今の若者らにとって学ぶべきところ大である。子どもたちがもう少し手がかからなくなったら弟子入りをして、彼女のように年齢とは逆に若々しい日々を過ごしたいと思っている昨今である。(『朝日新聞』一九七四年七月一五日朝刊「声」欄・人名は仮名)

一言でいうと、これはヘドの出そうな文章の一例といえよう。しかし筆者はおそらく、たいへんな名文を書いたと思っているのではなかろうか。だが多少とも文章を読みなれた読者なら、名文どころか、最初から最後までうんざりさせられるだけの文章と思うだろう。(もちろん内容とは関係がない。)なぜか。あまりにも紋切型の表現で充満しているからである。手垢のついた、いやみったらしい表現。こまかく分析してみよう。

本多は、これらの紋切型の使用がなぜよくないか、体言止めがなぜ下品かを熱く説明する。もっとも、下品とか不愉快とかいうのは個人の感覚による部分も多く、当の本人も注釈で「結局は趣味の問題にすぎないのかもしれない」「趣味を他人に押しつけるのは悪趣味ということにはなる」とやや弱気の発言をしている。読者を選ぶ章であり、実際にアマゾンのカスタマーレビューで低評価をつけている人は、著者の押しつけがましさが鼻についた点を低評価の理由として挙げているが、私個人はこの章は他人の目を気にする契機として大いに参考にするべきだと考えている。

前回のエントリー「日本語と段落」で話題にした段落についても、この本で 1 章まるまる充てられており、外山滋比古の著書も引用されている。ぜひお読みいただきたい。

昭和 57 (1982)年発行の文庫本で、現在の文庫より一回り小さい活字で 300 ページを超える、ボリュームのある本だ。理解しながら読破するのには少し根気が必要かもしれないが、得られるものは大きい。日頃漠然と文章を書いていて、文章がなかなか上達しないとお悩みの人にはぜひ読んでいただきたい良書である。

なお、当然ながら、巻末の「参考にした本」には 1982 年以降の本は登場しない。もう少し新しい文章術の本は、また折りを見てエントリーを起こしたいと思う。