昭和末期の秋葉原に思いを馳せる
私が初めてパソコン──当時は「マイコン」や「パーコン」という呼び方だった──に触れたのは 1980 年、小学 3 年生のときだ。その 2 年後に初めて訪れた秋葉原は、改札を出てすぐの場所に神田青果市場があり、怪しいパーツ屋やジャンク屋が軒を連ねている隣で最新鋭のマイコンが売られている、新旧が混沌と同居している街だった。
駅前の青果市場は移転した。老朽化したアキハバラデパートは姿を消した。秋葉原は、確かに小ぎれいな街になったけれど、昭和の面影がひとつ、またひとつと消えてゆくのは何だか淋しいものだ。
さて、秋葉原駅からほど近い秋葉原電波会館の 2 階にある喫茶店「古炉奈」が今月 14 日で閉店するという知らせを聞き、最後の訪問をしてきた。
電波会館の 2 階で自己主張をする「古炉奈」の文字は、私が次に秋葉原に来る時にはなくなっているのだろう。
昭和の香りを残すこの界隈。この階段を上る。
「お客様各位 当店 十四日閉店に伴い お客様のご希望に添えないメニュー品目がございます ご了承ください」の貼り紙が見える。
窓際の席に座り、窓の外を見やる。店の中にいると、時間が止まったような錯覚を覚える。
頼んだ「ブラジル」が、少しほろ苦く感じた。
ところで、秋葉原で私にとって思い出深いのは、電気街口改札を出てすぐ右にあったラーメン屋「いすず」だ。メニューは並と大盛りだけの、醤油ラーメンの店だった。私はこのラーメンが好きで、秋葉原に行くと必ずここのラーメンをすすっていた。
2000 年 6 月に閉店したようだが、嬉しいことに「いすず」の流れを汲む店が上野にある。
上野まで移動し、「東京らぁめん青龍」を訪ねる。この前に来たのは 1 年前くらいか。懐かしさに胸が高鳴る。
……が、閉まっていた。日曜が定休日だと知ったのは、このエントリーを書くために「青龍」を検索してからだった。残念。
オチのない竜頭蛇尾のレポートでごめんなさい。